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海に流した仔猫 [手記]

1970年代、ゆういちの少年期シリーズ、第13弾

お婆ちゃんの口から驚きの言葉が出た。
「信子!海んせえ 流がせっきい」

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脳性麻痺で生まれた信子おばさんは、僕のお母ちゃんと同じくらいの年齢だけど結婚もせず、お爺ちゃん、お婆ちゃんと三人で暮らしている。
少し前まで高校生ぐらいのお姉さんだと思っていたので、なぜ学校に行かないのだろうと不思議に思っていたけれど、聞いたわけではないのになんとなく障がいを持つひとだということがわかってきた。
難聴なのでいつも補聴器のキーキーする共鳴音が鳴り、好き勝手にそれを外しているわけではないけれど、お婆ちゃんからよく小言を言われている。でも、いつもニコニコして、お婆ちゃんから叱られても厭な顔ひとつせず不満を表す態度もとらないので皆から愛されている。
僕たちは信子”おばさん”とは呼ばずに信子さんと呼んでいる。

それは、たまたま僕の家族がお婆ちゃんの家に遊びに来たときの出来事だった。
仔猫が生まれたといって、信子さんがニコニコしながら段ボール箱に入った仔猫三匹を見せてくれた。弟と僕が箱を覗き込んでからは、真顔になるのが絶望的な状態だ。
鏡で自分たちを見たら満面の笑みになっていたはず。三毛、白黒柄、茶色、不思議と兄弟の色が違うけど、ちゃんとした兄弟には間違いはないのだろう。
この家のタマが生んだ仔猫たちで、すぐに親子を離されている。
それほど猫と接する機会がない僕たちは、今日の弟との遊びの計画はすべて白紙にして仔猫の世話をすることを勝手に決めた。帰ってからやらなければならない宿題や小学五年生ドリルの日課も吹き飛んでいる。ミーミーと誰にでも甘えたいというように、鳴く声が僕たちの愛情を求めている。

ところが、お婆ちゃんは一匹一匹、見定めてから、三匹の中から三毛をつまみ上げた。
毎日、たくさんの猫の仕分け作業をやっているかのように手慣れていた。そして、お婆ちゃんは三毛だけ残し、残りの二匹を海に流して来いと信子さんに言いつけたのだ。

その言葉を聞いた時、当然ながら海で溺れる仔猫たちの姿が頭を過った。
それは、この家のしきたりのようなもので、仔猫が生れる度にそうしているのだろうか。
他に選択肢が無いから。

信子さんはタマを可愛がり、猫が大好きだということは知っている。
でも、お婆ちゃんの言うことには逆らわなかった。

拒否や怒りの気持ちが沸いてきているのか表情ではまったく読み取れない。
すべてをお婆ちゃんから操られているように、信子さんはすぐに二匹の仔猫が入った段ボール箱を前にかかえて海へ向かった。

僕は気がついた時には、弟といっしょになって信子さんの後を追っていた。
あの段ボール箱が舟かと思えば漂流は長くはないとわかる。
いつも笑顔が絶えない信子さんはこの時ばかりは、意識して顔を見せないようにしているのか、表情をうかがうことはできなかった。

海までは歩いて二、三分。
鬱蒼とした雑木林に守られた家から、海岸まで続く雑木林の中のケモノ道のような小道を進んだ。肌がかぶれてしまう櫨<ハゼ>の木を避けることも忘れて。
信子さんの履いた白い長靴は海に向けて足を運ぶ度に悲鳴のように鳴った。
明るく開けると、そこは花崗岩の丸い奇岩で埋め尽くされた海岸だ。今日ばかりは、海ではなく一面緑の草原だったらどんなにうれしいことかと思ったが、残念ながら波が奇岩を洗い潮騒が僕らを呼んでいた。
ここは錦江湾、対岸は薩摩半島、トンネルの終わりには必ず光があるように、いつもの薩摩富士が姿を現していた。普通に考えても仔猫たちは対岸に辿り着くわけがない。
信子さんは重い気持ちとは対照的に、軽やかに丸い奇岩を足場にジグザグに伝って波打ち際へ向かって止まった。僕たちは舟が見えないように信子さんの背中に周り、その様子だけをうかがい知るだけにした。
お婆ちゃんが「うんせえ ながせっきい」と言ったのは、仔猫を海に捨てて来いと言えなかったのか、少しでも長く生き延びることを願って小舟に乗せて流してきなさいと言ったのか?
あわよくば少しでも生き延びるように。

信子さんは、振り向きざまに物悲しく微笑んでこれから流すと合図した。その仔猫の乗った舟が潮に浸かると信子さんは堰を切ったように大声をあげて泣き出した。

仔猫が一匹で生まれてきたら、どれほどよかったものか。
僕の視界から錦江湾の美しいキラキラが滲んでしまったのと同時に、ひとりで息を切らし、仔猫の鳴き声と潮の香から逃げるように雑木林に走りこんだ。

誰の目にもふれず雑木林の中でひとり激しく泣いた。



あとがき
天国のバーちゃん、あの海での出来事から半世紀だよ。
いまだにあの記憶は脳裏に焼き付いて褪せることなく、動物の殺処分の話を聞くと心がひどく痛むよ。キリキリって・・・
あなたは、戦争体験者だったし当時の世相もそうさせたのかもしれないよね。
あの日のこと、いまだったら暴露してもいいよね、と言ってももう書いちゃったよ。
時効だしね。
どんなに残酷なことであるかということ、
後世にメッセージを残せたと思うよ。

※note.comに既出手記


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消えた五百円札 [手記]

はじめに
もう私をひっぱたいてもこれ以上出てこないでしょう、少年期の思い出。
読む時間がなかったら戻るボタンを押して退室したほうがいいかも(笑)

1970年代、ゆういちの少年期シリーズ、第12弾

8時だよ全員集合も中休みになり、ゲストのいしだあゆみが大ヒット中の”ブルー・ライト・ヨコハマ”を歌っている。
深く青いヨコハマの夜を想像していると、お母ちゃんが突然、「ほら」と言って劇場の券を見せてくれたのでヨコハマは頭の隅に置いておいた。
今度の休みの日に弟と僕を、大阪まで連れて行ってくれると言った。
ここも大阪の端っこで大阪なのだけど、環状線が走る大阪の中心をあえて大阪と呼んでいる。じゃ、ここは大阪ではないのかと考えると、どうでもええわとなる。
劇場ということだけど、オーケストラでもなく、オペラでもなく、ピアノリサイタルでもなく、子ども受けする漫才だということはすぐにわかった。
お母ちゃんは、時々お父ちゃんの仕事の事務手続きで、僕にとっては退屈な大阪府庁まで連れて行くことはあるけど、劇場に連れて行ってくれるとは思いもしなかった。
お母ちゃんには内緒だけど、”フチョー”<府庁>という言葉は大嫌いだったのだ。
気がついたときには、”いしだあゆみ”はもうテレビから居なくなり、頭の隅に置いておいたヨコハマも無くなっていた。

当日、お母ちゃんと弟といっしょに、最寄りの国鉄の柏原駅から、
ディーゼル列車に乗った。
学校の成績があまり良くない僕でも、志紀、八尾、久宝寺、加美、平野、天王寺と駅は全部憶えてしまっている。天王寺に着くと地下鉄の御堂筋線に乗り換えるので、弟と手をつないだお母ちゃんに、はぐれないようについていった。
改札を出たところで、青っぽい紙、間違いなく五百円札が落ちているのに気がついた。
お母ちゃんに「お金、お金」と言ってすぐに教えてあげたら、「早く拾いなさい」と口の動きだけで、怒鳴るように言葉をかけてきたので、僕は何としてでもお金を拾わないといけないと思った。
低い姿勢に変えて人差し指と中指で挟もうとイメージして挑戦したら、失敗してしまい、後戻りしてその場にしゃがんで蟹みたいに五百円札と格闘した。
蟹のハサミで五百円札を挟んだら、あれ、お母ちゃんどんな洋服着ていたかな?
急にわからなくなり、焦りもあって五百円札に興味が無くなりそうになった。
確実に五百円札を握りしめて、人込みを追いかけようとしたが、ふたりは引田天功かと思わせるようなトリックを使ったのか、僕の後ろを笑いながら歩いていた。
こっちは、交番行に飛び込もうかと準備が整っていたのに笑っている場合ではないやろ。
でも、あーよかった。
お母ちゃんから、お前はよくお金を拾うと言われる。大人と比べると目ん玉が地面に近いからだろうと単純にそう思う。一日中大阪の街を歩けば五千円ぐらいは拾うのではないかと思い金持ちの自分を想像した。
五百円札を手にしたからには、サンダーバード二号のプラモデルが買えると確信し、すぐにでも家の近所の交番じゃなくて、模型店に飛び込みたくなった。幸い、お母ちゃんは先を気にしているらしく、僕が拾ったお金は頭から消え去ったようだったのでポケットに五百円札をねじ込んだ。

乗り換えのためにずいぶん歩いて、御堂筋線のホームに降りて行った時に、ホームでおばちゃん二、三人が「キャ―――、キャ―――」って叫んでいるので、頭がおかしくなったのかと思って叫んでいる方向を見ると、明るい色のスーツに大きなサングラスの男の人が、おばちゃん側を手のひらで顔を隠して斜めに逃げるように階段を上がっていった。不思議と、その男の人は万博のアメリカ館で見た月の石のように輝いていた。
僕は光るスリじゃないかと思ったけど、お母ちゃんが興奮して“笑福亭仁鶴”と教えてくれた。
大スターは、こんなところに住んでいるのだと、月の石の輝きといっしょに僕の記憶に刻み込んでおいた。
天王寺まで来ると、刺激があるなぁーと思ったら、何も気にせずアポロチョコを食べている弟を見たら、なんだか急に落ち着いてきた。

御堂筋線の電車に乗ったら、いつものようにスゥ―――と、油を塗ったレールの上を走るように、気持ちが悪いぐらいの静けさで電車が出発する。
僕はディーゼル列車と大阪の地下鉄のギャップが大好きだった。

車内放送がトッポジージョのような小さな声で「動物園前」と言った。
電車は壁面に動物の絵が描かれた“動物園前”に停まった。
ど・う・ぶ・つ・え・ん・ま・え、僕の、いや、大阪の子ども達が一番好きな駅のはずだ。
弟も、キリンやライオン、象さんの壁画を見ながら、劇場よりここの方が絶対行きたいと思っているに違いないが、残念ながら電車からは降りずに扉が閉まるのを待った。
また、油を塗ったレールの上を走るようにスゥ―――と走り出した。
トッポジージョが「なんば」と言ったので、お母ちゃんが着いたと言って、僕に降りるように促した。僕は、トッポジージョの声で「到着」と言ったら、お母ちゃんは、吹き出しながら「はよ降り」と言って弟と手をつないで電車を降りた。

その、なんば駅で降りてから地上に上がってみると大きなビルがたくさん立ち並んでいたので、最近テレビで話題の霞が関ビルより高くなろうと背伸びをしているように見えた。
お母ちゃんは少しだけ遠回りして戎橋で、ほらグリコと教えてくれたのでグリコの大きな看板を見ていると、“グリコ”、“チヨコレイト”、“パイナツプル”と階段で遊んでいる光景と、グリコ劇場の鉄人28号が頭に浮かんだ。グリコの誘惑で完全にはぐれてしまうと思って弟と手をつないだお母ちゃんを見失いないように付いて行った。珍しい物ばかりなのでパトカーの回転灯のように頭をくるくる回転させながら歩いていると、すぐに劇場に到着した。

お母ちゃんはここが、松竹芸能の角座だと言った。
赤い提灯がぶら下がり、立て看板がたくさん、今日の演目の中に、レッツゴー三匹や正司敏江・玲児が読み取れた。お母ちゃんが「トッシェレージや」とつぶやいたので、僕の見たいのと同じだとわかった。
角座は中からチンドン屋が飛び出してきそうで、まるでお祭りのようだ。

お母ちゃんが「お菓子買おうか・・・五百円・・・」と言い出したので、僕のポケットの中の五百円札かと思った瞬間に、サンダーバード二号が墜落しそうになったけど、お母ちゃんは自分の財布を取り出してお菓子を買ってくれたので二号の墜落は免れた。

座席に座ってお菓子を食べながら開演を待っていると、団体の人たちが一斉に「バリバリバリ―――」という乾いた音をたてた。腹をすかしたおっちゃんやおばちゃん達が、酸っぱいにおいの幕の内弁当を開け始めたのだ。
弟がびっくりして、さっきの僕みたいに頭をパトカーの回転灯のようにくるくる回転させた。
・・・
暗くなった場内。
学校の講堂で映画が始まる期待感といっしょだ。
幕がスルスルっと上がり舞台が眩しくなったので、期待を込めて目を細めた。

奇術あり、曲芸あり。
「♪ウチら陽気なかしまし娘 誰が言ったか知らないが 女三人寄ったら
姦しいとは愉快だね」・・・
音楽ショウは、かしまし娘だ。
娘と言っても近所のどこにでもいるおばちゃんみたいだ。
レッツゴー三匹、知ってる!でも何が面白いのかわからない。
大人気の、正司敏江・玲児が出てきた。
テレビといっしょ!今日の中で一番元気だ、玲児がちょっと押しただけで、敏江が舞台袖まで飛んで行ってしまう。
仲良くしゃべり出したと思えば、玲児が敏江のおでこを“ピシャッ”と叩く。
叩かなくてもいいところでも“ピシャッ”と叩く。
あーーー、面白かったと言いたいところだったけれど、小学生の僕には理解できない言葉の掛け合いが多すぎた。

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そのかわりにたくさんの栄養を補給した感じがした。

お笑いの最前線を生で体験した僕たちは、誰かに報告したいと思いながら足取り軽く帰途についた。
・・・
サンダーバードの勇ましいテーマ曲とともに、サンダーバート二号が巨大なコンテナポッドを荒海に落下させ、巨大な波しぶきを上げた。
僕は小さなボートで荒海と闘いながらコンテナポッドに向かい、ずぶ濡れになりながらも奇跡的とでも言うか無事No.4と表示があるコンテナポッドに乗り込んだ。
コンテナ内にはオレンジ色の小型の乗り物が搭載されていたので、すぐに4号とわかった。うっとりと眺めていたら知らないうちに、二号本体の輸送機に拾われ空中浮揚しているようだった。
僕は、ポケットから五百円札を取り出して、人形のような乗組員に運賃を支払った。
しかし、乗組員だと思っていた人は、交番のお巡りさんだったので「五百円を拾ったので届けました」とお巡りさんの背中越しに言った。後出しジャンケンだということはわかってはいたけど、お巡りさんは何も言わなかったので、五百円札を届けてくれたと理解しているのだと思うことにした。

それからは、サンダーバード二号の機体の中で行き場がなくなり、出口のない迷路に入ってしまったように彷徨い歩いていたら誰かが肩を叩いた。
お母ちゃんが「柏原に着いた」と言って僕の肩を何度も叩いていたようだった。
弟と手をつなぎながら「はよ降り」と言ったので、僕はトッポジージョで「到着」と言ったら、お母ちゃんはまた吹き出した。

駅からは、ひとりでも帰れるので、迷子になる心配はいっさいなかった。
五百円札が今の僕の原動力になっていることは確かなようだ、さっき電車の中でうたた寝したときに夢にも出てきたぐらい五百円札には釘付けだ。
僕のポケットからは、あの笑福亭仁鶴のように月の石のような光が出ている。
自分でもニンマリしているのがわかったので、眉間にしわを寄せてみたが、真夏のソフトクリームのように、すぐに緩んでしまい、それを繰り返した。
商店街では同級生のレコード屋さんを通り過ぎた。
何か聞かせてくれたようだけど、流れていたかもしれない音楽は風のように吹かれてどこかに飛んで行く。
お母ちゃんと弟から少しずつ離れながら後ろを付いて行った。
今度は同級生の歯医者さんの前を通り過ぎたら、またもや険しくした顔が緩んできた。
ニンマリ顔の頂点に達した時、コント55号の二郎さんの”ヒッヒッヒッヒッ・・・”という笑いが頭を過り幸福の頂点に達してしまった。

深呼吸してから、そっとポケットに手を突っ込んでみたら五百円札は見事に消えてしまっていた。

おわり

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国道2号線を東へ走れ [手記]

1970年代、ゆういちの少年期シリーズ、第11弾

はじめに
1971年1月8日、大阪から鹿児島に家族でマイカー帰省し、楽しいお正月を終えてUターン中、
山口県小郡での出来事だった。
当時は高速道路もなく、ひたすら国道を走り続ける我慢比べのような旅。
舗装道路は三分咲きの時代だったか?

はじまり、はじまり

 よく舞い上がる真っ白な凧を器用に作ってくれた腰の曲がったおじいちゃん。
お餅を火鉢で炙って食べさせてくれる優しいおばあちゃんと思っていたら、プロレス中継が始まると馬場が投げられる度に、我にその衝撃が伝わってくるかのように体が反応し、猪木にタッチすると三毛も逃げ出すほどの声援を送る激しいおばあちゃん。
鹿児島のお正月は、お年玉もたくさんもらって大金持ちになり、僕の夢の中では鹿児島で撮影された楽しかった思い出の映像が再生されていた。
フィルムの回る音が心地よい、「カタカタカタカタ・・・・・・」
突然場面が切り替わり、昼間だというのに空は真っ黒になり、花崗岩の奇岩で埋め尽くされた冬の冷たい海岸になっていた。ドドーンと波しぶきが高く上がったのと同時に僕は目を覚ました。

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お父ちゃんの小さい自動車に家族全員で乗り、鹿児島から大阪へ移動中だったことを思い出した。もし、車酔いコンテストがあるならば、日本一になる自信がある僕は車の中だということでまた嫌な気分になった。
車に少し乗るだけで、胃が踊り“ウェッ”っときて夜店で持ち帰る金魚袋ぐらいの重さのビニール袋を口にあてて、中の何かに語りかけているありさまだ。
そういうことを考えるから、また“ウェッ”とくるのだけど、車はエンジンがかかりっ放しだがどこかに停まっているので、金魚袋などいらないと思う。
少し寒い……
横の弟は毛布に潜ってぐっすり眠っている。
今や子ども向けテレビ番組で大人気のケロヨンやロバくんの夢でも見ているのだろうと思いながら背中に手をあてて暖かくしてあげた。
横になっているので真っ暗な空しか見えない。
ただ、窓ガラスにかき氷のようなものが貼り付いては流れ、付いては流れを繰り返しているので、冷たい雨か雪が降っていることだけはわかった。
体を起こして窓から外を見ると、な、な、何と銀世界が広がっている。
暗い雪の中に僕らの自動車がポツリと一台だけ。
どこまでも雪、雪、雪の、雪国。
こんな雪を初め見た。
反対側の窓を見たら、ここよりもずいぶん高い土手の上が車のヘッドライトやテールライトで眩しく、たくさんの乗用車やトラックがノロノロと走っている。
僕は、土手の上の車と雪の中の、この車の共通点が見つからず、理解に苦しんだ。
寝起きだから頭が働かないのかもしれないけど、おかしい、実におかしい。
ただ、雪山かどこかでこの車が遭難していることは確かのようだった。
もう一度、土手の上をよく見ると、車の人達がみんな僕らを見ながら走っていることに気がついた。

はっ!口がぽかんと開いて、目がだんだん大きく開いてきた。
あの土手からこの車は滑り落ちたのだ。
何か凄いことがあると「パンパカパーン、パンパンパ、パンパカパーン、今週のハイライト」って叫ぶはずの僕でも、ショックでそのセリフを発する回路が起動しなかった。
お父ちゃんと、お母ちゃんは、僕たちに説明することもできないくらい緊迫した状態で、わけのわからない話をしている。
“電話”、“警察”、“追っかける”、“ナンバー”という断片的な言葉だけが耳に入ってくる。

お父ちゃんは、次にどういう行動をすべきか、頭の中の本のページを必死になってめくっているようだけど、指が乾燥しすぎてページがめくることが出来なかったり、焦ってしまって沢山のページをめくってしまい、答えがまるっきり見つからないみたいだ。
それとは対照的にお母ちゃんは、突然車から降りて、軽装のまま雪国の山を登るように土手を上がり、すぐに戻ると紙と鉛筆を震える手に持って再び土手を上がって行った。
やはり雪山で遭難しているのではないかと自分自身の脳みそが教えてくれた瞬間、お父ちゃんは、運転席から振り向いて状況を話してくれた。

大型トラックから追突されて、ゆっくりとあの土手から滑り落ちたのだと。
追突した大型トラックはそのまま、渋滞の流れにのり、ゆっくり逃げていったと教えてくれた。
僕が先に考えていたことは半分ぐらい当たっていた。
幸い渋滞中の追突なので衝撃はほとんど無かったが、車は道路から外れてしまい土手から滑り落ちたのだと、お父ちゃんはつけ加えた。
さらに、ここは山口県小郡で田んぼの中だとつけ加えた。

この自動車はホンダのN360という軽自動車。
後ろの座席には六歳の弟と僕。
その後ろ座席の足元にはミカン箱をうまく変形させたものが二つ押し込まれ、僕らふたりだけの座敷部屋を作ってくれているので、あぐらをかくか横になっての乗車だ。

お父ちゃんは、ドアを開けて外に出るとゆっくりと、車のうしろに回ってからまた戻ってきた。お父ちゃんは外から、「ウッガレチョッタ」と言った。
鹿児島弁で壊れてたと言ってる。僕は何が壊れていようが、今の雪山の遭難を解決することには関係がないので、何が壊れてたのかは、興味もなく聞くこともしなかった。
運転席に戻ったお父ちゃんは、意味もなくカーラジオのスイッチを押して、ひたすら選曲を始めた。そこそこ、きれいに聞こえる放送を捉えた瞬間、お父ちゃんは「ヘヘッ」と言って僕たちに何かの意思表示をした。
普通小学生は聞かない深夜番組、パリパリする雑音の奥から、つぶやくような話が延々語られた。ずいぶん時間が経った頃、やっぱし“帰ってきたヨッパライ”がかかった。
僕は子どもながら、交通事故で死んでしまう歌がかかったことが場違いであることは理解できたが「♪天国よいとこ一度はおいで」のところは弟といっしょに歌いたかった。しかし、弟は眠っている。ヨッパライが運転する車のエンジンの効果音の場面、その直後に「ワァー」と発したヨッパライの声に重ねたけど、お父ちゃんは、頭の中のページとまだ格闘して、飯粒でひっ付いてめくれないページがあるかのようで、笑ってくれなかった。

そうこうしていると、目を擦りながら、弟がケロヨンとロバくんの夢の世界から目覚めたようだ。
弟が不機嫌そうなので、面倒くさいけど窓の外の渋滞中の車を見ながらケロヨンのモノマネで「バハハーイ!」と声を出したけど無視された。
さらに「ケロヨンとトッポジージョは声が似てるなあ」と弟に問うたけれど、弟は眉間にしわを寄せるように不機嫌な顔をした。しょうがない、とどめに「あの銭湯の風呂桶にはなぁ、ケロヨンって書いてあるでぇ」と言ったら怒ってしまった。

お母ちゃんが土手を登ってから三十分ぐらいで車に戻った。
お母ちゃんは、これより、めでたく我が家の”司令塔”に昇格した瞬間だった。
司令塔が言うには、土手の上で渋滞中の車を追いかけて大型トラックを特定しナンバーをメモするだけが精いっぱいでトラックは行ってしまった。次に、偶然にも深夜三時だというのに電気が灯る会社を発見し、事務所の戸を叩き電話を借り警察に応援を求めたそうだ。
今は、待つしかないと司令塔は言った。

寒い・・・・・・
雪山での遭難だ。
山口が大雪であることで、改めて脳みそが混乱し続けた。
学校の先生からは、沖縄や鹿児島は温かく、北へ行くほど寒くなると教わった。何かの教科書にのっていた雪国の写真といっしょだ。
ここ山口は住んでいる大阪から鹿児島の方向なのになぜなのだろうか・・・
車のエンジンの振動と、臭い暖房のおかげで車酔いコンテストが始まろうとしたので、近くにあった金魚袋を引き寄せたら口の中が酸っぱくなった。車は停まっているので、その時が来たならば外に出て雪の上に思いっきりぶち撒けると思ったら、すごく楽になってケロヨンの真似ができるまで急激に自然回復した。
相当な時間といっしょに、終わりのない渋滞の車も流れた。
こんな深夜だというのに、土手の上のノロノロ運転はまだ続いている。

空腹を感じ始めた頃、遠くから“ウーウーウー”とサイレンが聞こえた。
司令塔が前を向いたまま肩の上でVサインを見せたので、あのサイレンは銀行強盗の犯人を追いかけているのではない、火事でもない、ここに助けが来たのだとすぐにわかった。
今まで、Vサインとサイレンがこんなに嬉しいものだとは知らなかった。
司令塔は目頭を押さえながらハンカチを取り出した。
悲しみじゃなく、感動の涙だとわかったので、トッポジージョの声で「キタキタキタデー」と呟いてあげた。
お父ちゃんは、司令塔が実行した手順と同じページを頭の中で見つけたようだったけど、遅すぎたので、ただの運転手に降格してしまった。
そして運転手は、東海林太郎の何かを口笛で吹き始めたので、司令塔に従いますと意思表示をしたようだった。

サイレンの音が聞こえてからすぐに土手の上に赤い回転灯が鮮やかなパトカーが現れ、気がついた時には、僕は警察官の大きな背中にしがみついていた。
土手の上のパトカーまで大きな背中が運んでくれたので何も心配することはなかった。
大きな背中が助けてくれたので空腹より安心の方がまさったのだろうか、僕はパトカーの中で深い夢の中へ吸い込まれていった・・・・・

・・・・・・

次の朝、運転手が僕の足元のミカン箱を利用して、「ウッガレチョッタ」と言っていた、うしろのトランクの補修に使うと言った。
運転手が、警察署でカッターナイフや大きなテープを借りて、うしろのトランクが半分無くなっている部分をミカン箱で補修した。
運転手はいつものように「ヘッ、ヘッヘーーー」と軽やかな笑いで、照れを隠しているのか、うまくできたと言っているのかわからないけど周りに何らかの意思表示をした。
鹿児島のおじいちゃん家で、運転手がニワトリをつぶそうとしたあの時、絞めたはずのニワトリが手元で生き返ったのに驚いた時の「ヘッ、ヘッヘーーー」という照れを隠す笑いと同じだった。

運転手が「ホイジャ、大阪に向けて出発や」と母国語の鹿児島弁の訛りで、大阪弁を少し織り交ぜて言ったのを合図に、皆で自動車に乗り込んだ。
司令塔は言った、車のナンバーの”ひらがなの一文字”を控えてなかったため、トラックの追跡調査は不可能という報告を聞かしてくれた。あの時は協力的な警察がすぐに検問を開始したが、大型トラックは脇道へ逃げたのだろうということで、残念ながら検問を終えたそうだ。
あれ?僕の足元のミカン箱があるやん、何でやろ?
司令塔が運転手に鹿児島から持って来たミカン箱を切り取って修理することを指示したみたいだ。司令塔は、運転手の笑いの意味を知っているらしく、うしろを気にしながら楽しそうだった。

HONDA_N360.png

そして、笑顔になった家族を乗せて車はゆっくりと発車した。
単車のエンジンのような独特な音をばらまきながら。
あの背中の大きい警察官が手を振ってくれたので、「バハハーイ!」とケロヨンのモノマネをしたら弟がケラケラと笑った。
背中の大きい警察官に聞こえてしまったと勘違いして顔が赤くほてってしまった。
念のためにすぐに金魚袋を手元にたぐり寄せ、大阪まで頑張ると心に誓ったのだが、
口の中がすぐに酸っぱくなった。
車に揺られた弟は、すぐにケロヨンとロバくんの夢の世界へ。
車酔いだけは弟に勝てへんわあ。
お兄ちゃんの負けや、弟よ!

ホンダN360は、うしろの痛々しい部分を“たんかん”という赤い字に替えられ、
「もう、雪の田んぼに落とさんといて!」と
  後続車に訴えながら国道2号線を東に向かった。

おわり


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銀杏が教えてくれたこと [手記]

1970年代、ゆういちの少年期シリーズ、第10弾

はじめに
毎年この季節になると、夜の落ち葉拾いを思い出します。


お母ちゃんが、明日も学校だから早く寝なさいと言った瞬間、最近地震がなかった僕の中に激震が走り、歌舞伎役者のように寄り目になって強面になってしまった。
今日、小学校の先生が明日の理科の授業に、落ち葉を持ってくるように僕らに告げたのをすっかり忘れていたのだ。
これから布団に飛び込んで弟をいじってから寝ようと思っていたのに、何故ここで記憶を呼び出してしまったのだろう?
いっそのこと、明日学校に着いてから思い出した方が楽だったかもしれない。
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いやそんなこと考えている場合じゃない、怖い先生に怒られることを思うと、
こうしてはいられない。
「あっ、あの、お母ちゃん、学校に落ち葉持っていかなあかんねん」
お母ちゃんは、じゃあ、落ち葉拾いに行こうと言って、
パジャマ姿の僕に着替えなさいと言いつけた。
僕は朝の着替えより早く、いや、消防士よりも早く、すぐにでも出動できるように準備を整え、胸にウルトラマン科学特捜隊のバッジを付けた。

もうこの時間であれば外はひんやりしている。
お母ちゃんは柿色のカーディガンを羽織って、心配そうな弟に手を振ってから僕といっしょにボロアパートから飛び出した。
東の方向には山があるので、自然に東の方向にふたりで向かった。
大きな市立病院の裏に大きな銀杏の木があることを、僕も知っているけど、お母ちゃんも知っていたようだ。
お母ちゃんは幼いころ、終戦の貧しい時代を生き抜いてきているので、どこかへ行く度に、銀杏の実や、ツクシ、ゼンマイ、ドクダミ、フキ、ヨモギなどを気にかけるのだ。だから銀杏の実が落ちる場所を記した地図が頭の中に入っているのだと思った。
そうか、銀杏の実だったのか。
お母ちゃんは怒りもせずに僕といっしょに来てくれた理由がわかった。
隣の県までお父ちゃんと山芋堀に行くぐらい、タダで手に入る食糧に興味があるのだ。
へッへへ、お見通しやでぇ。

市立病院の裏までは歩いて五分ほどだ。
最近、シキシマパンのお店が開店した目と鼻の先、昼間の様子とは打って変わり、パン屋さんは明日のために英気を養っているように眠っている。そうそう、このパン屋さんは、ぼくら庶民が見たこともない“電子レンジ”があると近所で話題になったのだった。
電子レンジで菓子パンを温めてもらったことがあり、温める時間がほんの一瞬であったことに衝撃を受けたことを思い出した。
パンを一瞬で温めた衝撃だけではなかった。
ほんのり中まで温かい菓子パンが、うっとりして幸せを感じるほど美味しいことにも衝撃を受けたのだった。
落ち葉拾いに来たのに、また違うことを考えてしまった。
僕はいつもこうだから、先生に言われたことを半分だけ聞いて半分聞くふりをして、落ち葉のことも忘れてしまったのだろう。

市立病院の裏には、頭に描いていたとおりの銀杏の木が僕らを見下ろし、
落ち葉が一面に広がっていた。
街灯だけなので、黄色いはずの落ち葉には色がなく、肌寒いのに加えて病院の暗い建物の影が迫ってくるようで僕は震えた。

先日、友達と怖いもの見たさで、この病院の正門で救急車を待っていたことを思い出した。
「ウー・ウー・ウー」という音で僕らには緊張が走り、病院の正門から救急車が通過していくのを見守り、患者さんを運び出す現場を遠くから見ていたのだ。
多くの血に染まった白い何かが目に焼き付いた。
切り裂かれるような衝撃が走り一目散に病院から逃げ去った光景がよみがえった。
そんな遊びをしていたことは、間違ってもお母ちゃんには口にしない。
また、ブルっと寒気がはしり、急いできれいな銀杏の葉っぱだけを数枚拾った。
満足したので後ろを振り返ったら、お母ちゃんが拾った棒で、臭い銀杏を突っついていたので、お母ちゃんを少しだけ楽しませてあげたのだと思って安心した。

次の日、理科の授業で机の上に、隣の女子にトランプのフルハウスを見せびらかすように銀杏の葉っぱを並べた。そのフルハウスはボロアパートの隣の隣に住んでいるお姉ちゃんと遊んだ時に教えてもらったのだ。いっしょに遊んでいると、ゲーム中に歌舞伎のセリフを口走り、皆を笑わすのが趣味のような明るい物知りなお姉ちゃんだ。

この隣の女子といったら僕より多い沢山の種類の落ち葉を並べ、僕に興味を示す風もなく真っすぐ正面を向いて、つんつんつん、している。
僕は、その女子に聞こえないように少しだけ舌打ちして、もう一度自分のフルハウスの手を見ていたら、銀杏の葉っぱが僕に記憶を思い出させるスイッチを入れた。
悪ふざけで、病院の前から人の不幸を見ている醜い自分の姿だった。

銀杏の葉っぱは、うちの家族と同じ数だった。
それぞれの銀杏の葉っぱには、お父ちゃん、お母ちゃん、弟、の顔が浮かび、悲しい顔をしていた。すると、鼻をつまんでプールに潜ったように、僕の周りの音が何もかも聞こえなくなった。僕はもう悪い遊びはしませんと心に誓うと、お父ちゃん、お母ちゃん、弟、僕、家族がみんな健康であることに気がついた。
嬉しくなって、さらに音の無い自分の世界に入っていった。

心地よい乾いたチョークの音が止まった瞬間、突然先生が僕を指名した。
自分の世界に入っていた僕は、ここは学校であることまで、わからない状態であったので、脳みそがパニックになってしまった。
女の先生から「なにボケーとしてんのん」と言われたのと同時に、どっと同級生の笑いにつつまれ、隣の女子が輪をかけるように奇声を発して笑った。

そしたら、僕はまた歌舞伎役者のように寄り目になり、
口をへの字に半空きにし、
「近頃面目次第もございません」と心の中で発した。

おわり。


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One Fine Day [手記]

1970年代、ゆういちの少年期シリーズ、第9弾。

はじめに
母ちゃんが、お前は東京の会社へ就職するんだからスーツを新調しなきゃねって。
そんな、ある一日を記憶の糸が途中で切れないように思い起こしてみた。
ブルースリー、スワシンジ、わっかるかな?
わっかんねだろうなぁ。


僕は洋食屋さんで「ラーメン」と母ちゃんにつぶやいた。
母ちゃんは、苦笑しながら「おまえは、ラーメンしか知らないの?」と言った。

今日は特別な日。
今年も約束どおり、ほんとうに春がやって来るのか桜の季節が待ち遠しいこの頃。
東京の会社へ就職するためスーツ選びと採寸をする日のことだった。
僕の住む小さな町には新調のスーツを買い求められる店はないので、隣のそのまた隣町まで母ちゃんに連れられてきたのだ。母ちゃんがここに連れて来なければ、僕は学ランのまま上京したかもしれない。ここへ連れて来られて初めて、スーツで上京するものだと知ったことは、間違っても誰にも言わないように秘密にすることにした。

店主の勧めで、斜めの真紅ストライプのネクタイでアイビー仕立て、アイビーに合わせたシャツ、靴下に革靴まで揃えてくれた。こんな田舎町に、こんな紳士服店、こんな目利きのいい店主がいたということが意外で、それもトントン拍子でコーディネートしてくれた。
店主はドリフターズ見習いのスワシンジに似ていた。首に廻してあるメジャーを突然、ヌンチャクのように振り回し、ブルースリーの真似をして奇声を発することを想像したら吹き出しそうになったが、口を結んだまま、ほっぺたに力を入れて笑いのピークを越えることができた。
karate_kaeru.png
この紳士服店だけで、鬼ヶ島へ行くためのイヌ、サル、キジ、が揃ったようなものだ。あとは、旅立ちの日にきび団子を持たせてもらえば完璧だ。
すでにイヌ、サル、キジが揃ったのできび団子は自分で食べるってことか。
僕は桃太郎か、ナハハハと心の中で笑った。
スワさんはイヌ、サル、キジを来週取りに来てくださいと言って軽く会釈をして見送ってくれた。
何故、母ちゃんはこんなお洒落な店を知っていたのだろうと不思議に思ったが、裁縫がプロの腕前なので何かの縁で情報を得たのだろうと勝手に解釈した。

「ラーメン」はスワさんの紳士服店から、二件隣の西洋の雰囲気のする洋食屋さんでの会話だったのだ。
英国風アンティーク家具や雑貨でデザインされた店内は大人の酒場ではないかと驚いた。
店内はシュレルズのWill You Love Me Tomorrowが静かに流れていた。
「うん、ラーメンでいい」
母ちゃんは困ったように、「ラーメンは無いよ」と言った。
家族で外食したことなど記憶にない。
大衆食堂やラーメン屋さんでさえ、皆で食べた記憶がなく、外食という経験が全く無かった。
そんな僕を母ちゃんは、イヌ、サル、キジを注文した後に洋食屋に連れてきた。
東京で一人暮らしをする息子のために外食の経験をさせておかなければならないから、僕と一緒に洋食屋に入ったのだろうと思った。
お客さんが少ない店内で、油でテカテカしたメニューを見た。
しかし、「ラーメン」しか候補が浮かんでこなかった。
安心して注文できるのはラーメンしかなかった。
洋食の定番、ハンバーグは当然知っているけれど、ハンバーグという肉の塊以外にどんな物が出てくるか想像がつかなかった。それにフォークの表裏をひっくり返して、猫の額に米粒を乗せる技を考えるだけでもいやになった。
ラーメンだったら間違いない、そういう発想だったかもしれない。
マスターは、状況を察知してくれたようで、うちで出前が取れると言って、中華食堂からラーメンをふたつ取ってくれた。近くの中華食堂から、割烹着姿のおばちゃんがあっという間に持ってきた。
ラーメンは既にコショウがプランクトンのように浮いていたので、万人受けするコショウを使って、うまく擬装しているのだなと思った。
母ちゃんは苦笑いしながら、恥ずかしそうにラーメンをすすり始めた。
僕は、スーツで上京する自分の姿を頭の中に映写しながら母ちゃんといっしょにラーメンをすすった。プランクトンを吸い込んでむせないように……
たぶん母ちゃんの頭の中にも、スーツ姿の僕を見送る映像が映写されていたのだろう。いつもと会話が少なかったのでそう思った。
東京でラーメンばかり食べてひもじい思いをする我が息子も想像していたのかもしれない。
店内はウキウキしそうなシフォンズのOne Fine Dayに替わっていたが、今の僕の気持ちには重ならなかった。
西洋の雰囲気のする洋食屋ではラーメンを前にしても、結局食欲のスイッチが入らなかった。
胃が小さくなったようですぐに腹が一杯になった。
ふたりとも、ラーメンでむせることなく無事食事を終え、洋食屋をあとにした。スワさんのことを思い出さなかったのがよかったかもしれない。

それから母ちゃんと一時間に一本しか走らない、がらんとしたボロバスに乗った。
西洋の雰囲気の酔いを引きずって、バス酔いだけは避けたいと、肝に念じ海を見ながら一時間ほどで自宅に戻った。

飼っているコザクラインコが「ピピッ」と尖った声で鳴いて、僕に家に帰ってきたのだと教えてくれた。畳の上に大の字になり、届きもしない蛍光灯の紐に手を伸ばしてみた。
今日は紳士服店でスワシンジに出会い、西洋で中華を味わい、そして臭いボロバスに乗って小旅行から帰ってきたので、井戸の中に入ったように落ち着いた。
すぐに母ちゃんが熱い緑茶を淹れてくれたので、口を尖らせ一口すすった。
……
すると、あのイヌ、サル、キジを手に入れたら大人になれるのだと頭をよぎった。
その瞬間、血が沸騰し、ブルースリーの真似をして奇声をあげた。
「アチャ、アチャ、アチャ、アチャー、アォ―――」
奥の部屋から弟が飛び出てきて、眉をひそめ、気でも狂ったの?というような仕草をして笑っている。

僕は、あのOne Fine Dayが聞きたくなり、
小さなナショナルのラジカセに“外国”と書かれたカセットテープをカシャリと入れ、覗き込んだ窓から見えるテープの量を見ながら早送りと巻き戻しを繰り返し、再生ボタンを押した。
ミッシェル・ポルナレフの「愛の休日」の次に聴こえてきたカーペンターズのOne Fine Dayのボリュームを上げた。

おわり。


ブルース・リー伝

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どぶんと消えた亀 [手記]

1970年代、ゆういちの少年期シリーズ、第7弾。

僕は生き物が大好きな小学三年生、いつも友達と近くの野山で昆虫採集やザリガニ釣りを楽しんでいる。勉強は中の下をキープするように自分で遊びとのバランスを考えて、うまく調整しているのだと思っている。
そう、ごくごく普通の小学生。
特徴を挙げるならスポーツが苦手なのにヘアスタイルがスポーツ刈りってとこかな。

そんな僕は、いつものように暗くなるまで遊んで自宅のボロアパートへ向かっていた。近所の住宅からの夕餉の支度の匂い、食器がカチャカチャなる音、談笑する温かい家庭を感じながら空腹を倍増させていた。どこからか三波春夫の「世界の国からこんにちは」が聞こえてきた。着物のおじさんが演歌のようにうたう歌は好みじゃないけど、「♪せんきゅうーひゃく、ななじゅうーねんの」のフレーズが格好良く、気がつくと自然に口ずさんでいた。
「♪せんきゅうーひゃく、ななじゅうーねんの」…
空腹を三倍ぐらいにして夕飯のおかずは何かと考えながら頭の中で歌っていると、
自分の拳ふたつ分ぐらいの亀に出会った。
夕飯のおかずはオリエンタルカレーがいいなと思う瞬間と同じだったので、オリエンタルカレーとスプーンがどこかへ吹き飛んでいってしまった。
ありゃりゃ。
いや、自分の拳ふたつだと亀の形にならないので、お父ちゃんの拳ひとつぐらいに修正しておこう。こんな生き物好きな僕でも、今まで手が届くところで亀に巡り合うことはなかった。
うれしくなって、“お父ちゃんの拳”を拾い上げてみた。
重くて固くて頑丈だ。
小学生の男子は、重くて固くて頑丈なものが大好きなのだ。
重くて固くて頑丈なものが好きな小学生は僕だけか? まっいいや。
亀の種類がわかるほど知識はなかった。たぶんクサガメかイシガメのどちらかだけど、正しい種類を知ったところで何のメリットも感じなかったので生き物図鑑で調べようとは思わなかった。
眉間にしわを寄せるようにして頭が引っ込んだ穴を覗くと、わーっと突然飛び出して噛みつこうとはしなかった。口が尖ったスッポンじゃなかったので安心した。
周りを見回しても、この道端にお父ちゃんの拳の持ち主はいないようなので、すぐそこのボロアパートへ連れて帰ることにした。

家には、予想通りお母ちゃんと弟がいた。印象強くお披露目するために、お父ちゃんの拳を後ろ手にしてから二人の前で「ジャーン」と言って見せた。
弟は、嬉しそうにニコニコして、甲羅の固さを確認していたが、何か食べさせたくて仕方ないみたいだ。お母ちゃんは、法に触れるぐらいの悪いことをしない限り何に対しても、寛大に振る舞ってくれるので、すぐにこのタライを使いなさいと準備してくれた。
お父ちゃんの拳をタライに入れて、気を利かせて水をなみなみ入れてあげた。しかし、このままずっと泳がせていると溺れて死んでしまう気がしたので、お腹が浸かるぐらいの水に減らしたので亀が胸をなでおろしているようだった。
夕ご飯にしようかとしている頃、お父ちゃんが帰ってきてタライを掴んで中の亀を観察した。それと同時に僕は、タライを掴んだお父ちゃんの拳をよく観察した。
お父ちゃんの拳と亀は似ても似つかなかったので、亀をお父ちゃんの拳と呼ぶのをやめた。
お父ちゃんはそれっきり関心を示さず、テレビの前に座って新聞のテレビ欄から見始めた。
夕飯がちゃぶ台に並び食事が始まると、お母ちゃんが、このままずっと亀をタライで飼うわけにはいかないので、学校に寄贈すればよいのではないかと言い出した。
お父ちゃんはテレビを見ながら咀嚼を続け、「ハヨカメ」と言った。
お父ちゃんは九州の出身なので時々方言が出てくる。ハヨは早く、カメは食べろという意味。ご飯を早く食べ始めろと言っているので、この家族会議の議題には興味はないようだ。
でも、“カメ”という言葉でひっかけてくれたので少しは気にしてくれているのだと嬉しかった。
弟は別れが惜しいのか、後ろのタライにふりかえった。
僕が亀を寄贈することで、学校での地位と理科の成績が少しばかり上がるかもしれないと思い、誇らしい気持ちになった。
夕飯はオリエンタルカレーじゃなかったけど亀の寄贈の話で満腹になった。

次の朝、お父ちゃんが縄を使って亀を縛り始めた。古新聞を縛っていることはよくあるが、亀を縛っているお父ちゃんの姿を初めてみた。
何をするのだろうと、亀とお父ちゃんの拳を観察していると、亀は十文字掛け結びにさせられそうになり、頭が出なくなるので四十五度回転した十文字掛け結びに縛り直された。
そして、甲羅の天辺から真上へ一本結ばれ、吊り下げられるようになった。親切にも僕が持つ縄の端の部分は手が入るように丸い取っ手が付けられていた。
亀をぶら下げて、学校へ持って行けということは火を見るより明らかだ。
ちょっと恥ずかしいけど、せっかくお父ちゃんが四苦八苦して縛り上げてくれたものだから、亀を学校にぶら下げて行くしか選択肢はなかった。

ボロアパートから学校までの道路脇には幅一メーターぐらいの用水路があり流れは比較的速い。時々、ダイハツの三輪ミゼットが転落しているちょっぴり怖い用水路だ。
亀はこの流れの速い川で流されてやってきたのかと考えながら学校へ向かった。
亀は甲羅を中心にバランスがいいが、回転が始まるとこりゃまた止まらない。
クルクルクル……
僕は、さっき、ちょっと恥ずかしいけどと思ったのは、生き物をいじめている悪い子どもと自分が重なったからかもしれない。
登校しているほかの小学生も大人も皆、僕を見ているように思えてきた。
どう見ても、自分は浦島太郎の挿絵に出てくるいじめっ子役の方だと思った。
いつもより早歩きで学校へ向かった。
kame_kaeru.png
職員室を訪ねて担任の先生に相談するとか、学校へ到着してからの自分のとるべき行動は全く計画していなかった。
僕は、そのまま亀をぶら下げて教室の自分の席に座り、目が回って空中で水かきしている亀を床に着地させた。
同級生はなぜ亀を学校に持って来たのだろうと不思議に思っていることだろうけど、頭が真っ白くなり、友達にも説明ができなくなった。
やがて朝礼が始まったが、僕は「この亀を学校の池に寄贈するために持ってきました」と先行して発言ができなかった。たとえ発言したとしても「この池を亀の学校に寄贈するために持ってきました」と言ってしまったかもしれない。

教室内のいつものざわつきと違うことに気がついた若い女の先生は亀を用水路に逃がして来なさいと僕に言いつけた。
用水路に?
僕はその時気がついた。この小学校には池が無かったことを。
幼稚園には池があったのでてっきり池があるものだと勘違いしていたのだ。

僕は、亀をぶら下げてそっと教室を出た。
そして、お父ちゃんお母ちゃんの顔を思い出しながら亀を用水路に投げ込んだ。
“どぶん”と音がして一瞬にして亀は消え、流れの速い用水路の水面はなにもなかったように元の様子に戻っていた。
あっ、しまった…… 、あーあ、行ってしもうた!
亀を縄で十文字掛け結びに縛ったままだったと気がついた時にはもう手遅れだった。
どぶんという音で、一瞬にして亀の物語に幕が下りたのだ。
僕は亀との出会いから今までを何も無かったことにしたくなり、
「♪せんきゅうーひゃく、ななじゅうーねんの、コ・ン・ニ・チ・ハ―――」と
頭の中で思いっきり歌った。

おわり


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マミーボート女湯事件簿 [手記]

1970年代、ゆういちの少年期シリーズ、第6弾。

森永のマミーを飲むと“マミーボート”が当たるらしく、喉から両手や足が出るぐらいほしいのだけど、マミーボートは永遠のあこがれだ。それもそのはず、銭湯で風呂上がりに毎日マミーは買ってはもらえないから、当たるわけがない。マミーボートは、お風呂で遊べる水中モーター付きの船で、赤と青の船体の下に魚雷のような水中モーターが付いてかなり魅力的だ。
今日は、遊び道具なしで洗面器に石鹸とタオルだけ入れて銭湯。
もし、うちにお風呂があったら夢のような暮らしができたとは思うけど、お風呂があったらいいなという発想もない。それもそのはず、気がついた時からボロアパートに住んでいたから。
両親と弟の四人で、テクテク歩いて五分ほどのところにある銭湯に向かった。日課のひとつなので、苦もなく、寒い冬や、雨の日も、毎日銭湯に通っている。

お母ちゃんは弟を連れて、“ゆ・女”の暖簾をくぐった。
僕は、お父ちゃんより先に “ゆ・男”の暖簾をくぐり重いガラス戸を引いた瞬間に、鼻からお風呂の匂いと湿気を吸い取って、番頭で20円を払った。
脱衣所で服を脱いでいる最中マミーボートを持っているモヤシみたいな少年をみかけたので、実物をこの目に焼き付けようと、必死になってマミーボートを凝視した。いいかげん目に焼き付け終わって、素っ裸になったこともあるので、何もなかったように浴場に駆け込んだ。
たぶん、あのモヤシ少年のマミーボートは、僕の超能力で電池が切れたはず。ヘ、ヘ、ヘ

夕方の銭湯は大好きだ。
天井近くのたくさんの窓が黄金色にキラキラ光り、ほどよい自然光が浴場にそそぎ、露天風呂に行ったことはないが、露天風呂に入っているような気分になって気持ちがいい。それに、エコーがかかる桶の音が、お寺や神社みたいに神聖な気持ちになり、心地よくて素敵だ。
後ろを振り返ると、壁には大きな見慣れた絵が描かれている。
遠くに富士山、手前には湖に浮かぶ神秘的な島。島の中は深緑の松林、赤い鳥居に赤い太鼓橋、誰ひとりいないが弁慶がよく似合うと思う。じっと見ていると、冷たいタイルの中に吸い込まれてしまって帰って来られないような錯覚がする。ここには絵の世界と現実を行ったり来たりできる入口がありそうで怖いのだ。でも、絵の世界に入って鳥居をくぐって太鼓橋を渡って弁慶に会ってみたい。

ここの銭湯の近くに、クミジムショがあるので、入れ墨を見事に入れたおっちゃん達が必ず銭湯にいる。僕から見れば、普通のおっちゃんと比べると、入れ墨が有るか無いかの違いだけで、特別どうこうということはない。このあいだ、お父ちゃんの横で体を洗っている最中にタオルを振り回したら、入れ墨のおっちゃんをしばいてしまって、すかさずお父ちゃんが愛想笑いをして頭を下げたことがあった。その時から、お父ちゃんは入れ墨の人が苦手なのだということがわかった。
もし、お父ちゃんに何か悪いことが起きたら、クミジムショの組長さんの息子の戸田君が僕と友達だから、戸田君に相談する最終手段は想定している。もし、そうなったらお父ちゃんは、何故それを最初から教えてくれなかったのだと言うのだろう……えへへ、まっ、いいや。

僕は小学生の低学年なので、男風呂と女風呂を番頭の前の暖簾をくぐって、行ったり来たりする。お父ちゃんとお母ちゃんの石鹸や手紙のやり取りも依頼されれば、反対側に配達に行き、大人にはできない特権を最大限利用している。
今日は、何の用事もなかったけどフラっと女風呂に行って、お母ちゃんの背中を叩いてから、弟と湯船につかって遊んだ。
今日、フラっと行ったのが間違いだった。
湯気の向こうに、どこかで見た女の子が入ってきたのに気づいた。
しまった、同じクラスの女子、片山だ。
なんで? この銭湯ではいっしょになるはずがないのだけど、たぶん片山の住んでいる地域の銭湯が休みだったからここに来たのだ。
あの、キツイ片山、最悪。
あの甲高い声、こめかみに、げんこつでグリグリされるみたいに不愉快なので片山に間違いない。
僕らの湯船に向かってくる。
弟の横で鼻まで沈んで、浮上した潜水艦みたいになって待機していた。
弟は潜水艦がおもしろいらしく、大波をぶつけてきた。
弟に向かって、これは特殊作戦なのだと目をパチパチさせて合図したが、その信号は大波なんかへっちゃらさーと解釈され、さらに激しく大波をぶつけてきた。
我慢できなくなり、湯船から飛び出したと思ったら片山と目が合ってしまった。
片山は間髪入れずに、「学校で、ゆうたろー、ゆうたろー、学校で、ゆうたろー、ゆうたろー」と言いつけ歌でキツイ顔をして歌い出した。何度も、何度も、歌っている、もうどうにも止まらない。男風呂までエコーがかかって聞こえるぐらい歌っている。
それにしても、片山はなぜ恥ずかしがらないのだろう? まっ、いいや。
こればっかりは、クミジムショの戸田君に相談しても解決しない。
この場での唯一の解決方法は、僕がここから瞬時に消えることだ。
「なに言うてんねん、おまえは、Qたろーか」と捨て台詞を吐いてから、男湯に向かって、円を描くように番頭の前の暖簾に飛び込んだ。
男湯に無事に避難は成功したけど、待ち受けていたのは入れ墨の見事な太ったおっちゃんの腹だった。わんぱく相撲に参加して関取との立合い直後のぶつかりのようになってしまい、その腹に「ペターン」って、ぶつかり、周りの観客から大爆笑されそうだった。
そして、入れ墨の見事な太ったおっちゃんから怒鳴られて、散々な目にあってしまった。
mame_boat.png
どうやら、モヤシ少年に超能力シグナルを送ったからバチが当たったみたいだ。
マミーボートを持っていることが羨ましく、その気持ちが抑えられなくなって妬みへかわってしまった。
「モヤシ少年よ、ごめんな、ひとつ勉強になったよ」
そう頭の中で格好よくつぶやいた。
そして僕は気持ちを切りかえて、弟の手を引いて家族といっしょにボロアパートへ帰った。
その夜、布団の中に入ると、片山の裸を思い出すのと同時に、とてもいい考えを思いついた。そうだ、片山に超能力シグナルを送って、風邪をひかせて学校を休ませよう。ついでに、今日の記憶を消してやろっと!
それから、一生懸命、布団の中で念じた。
へ、へ、へ、


森永マミー 200ml×24本

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沸騰した薬缶のおっちゃん [手記]

1970年代、ゆういちの少年期シリーズ、第5弾。

 軍艦マーチが鳴り響いた店内で、僕が手を引いている弟の口の周りは真っ黒で、洋服も胸のあたりまで汚れている。大好きなチョコレートをお父ちゃんから貰っておいしそうに食べているのだ。弟はパチンコ屋では放し飼いされているように、片手には必ずチョコレートを持って店内を動き回っている。その弟はパチンコ屋によく来る証として、歯はボロボロで前歯が無い。
 お父ちゃんは仕事が休みになると、僕と弟を連れて国鉄K駅近くにあるパチンコ屋に連れてくるのだ。今日もまた、前と同じパチンコ屋に連れて来られた。パチンコ以外に、何処かへ連れて行ってくれるとか、キャッチボールをいっしょにするということは、例えお父ちゃんが前の日にグローブをプレゼントしてくれたとしても、無い。
 耳を突く軍艦マーチに、煙草の臭いや、床に沁み込んだ油の臭い、劣悪な環境だけど、弟はチョコレートに誘われて連れてこられ、僕はお父ちゃんについて行かなくてはならない使命感があるのでついてきている。

 お客さんは殆どおらず、いつもガラガラで広く感じる。お父ちゃんは、手慣れたように壺のような機械から玉を買って、煙草をふかしながら自分の好きなパチンコ台で遊んでいる。左手に玉をたくさん握って右側の穴から、親指を器用に使って等間隔に入れて、そのリズムに合わせるように右手でレバーを弾く動作を飽きもせずやっている。交差する左右の手の恰好良さと、機械のような正確な動作を見ていると、大人はすごいと、いつも思う。
 お父ちゃんは玉を弾きながら、僕と弟に玉を拾うように言い付けることがあるので、弟といっしょになって猫のように転がっている玉を追っかけている。
たまに、店員が僕と弟を制止しようとしてくるので、その時だけは二足歩行の猫になる。忘れた頃、猫になって玉を追っかけても何も言ってこないので、玉拾いに励み、獲得した玉をお父ちゃんに献上している。店員は制止する時と玉を拾わせてくれる時があるので、僕としては、この猫になる行為が良いか悪いのか判断できない。
 たまに、お父ちゃんの隣に座って弾くと、自分でもお父ちゃんより上手だと思うことがあり、下皿にまで玉が溢れることがある。この時も、店員が来て、肩をちょんちょんされて、制止しようとする。
その時お父ちゃんは、苦笑しながら “するな”というような合図を僕に送る。
なぜ、店員は僕を制止しようとするのか、それにお父ちゃんの合図の理由もわからない。
忘れた頃、僕がお父ちゃんの横で弾くのを再開しても店員が無視していることがあるので、この行為が良いか悪いのか判断できない。
このことは、お父ちゃんも教えてくれない。
たぶん聞いても、答えが理解できないと思うから聞かないのだ。
誰も教えてくれないパチンコの暗黙のルールに従い、僕らはお父ちゃんが頭の中で描いている見えない柵の中から逃げ出すことなく不思議な時間を過ごしている。
時間もほどよく経過して、猫になっている弟は玉を追っかけるのも飽きたようだけど、店内をうろついて、うまく時間を潰しているようだ。
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 僕も猫をやめて、店の出入り口近くの、お父ちゃんの右隣に座っていた。
右隣りには、鶏ガラみたいに痩せたピカピカ頭のおっちゃんだ。おっちゃんは、ほかの人と違って綺麗な服、パチンコを弾く手元を見たら珍しく大きな指輪をしていた。頭を180度回転させて、お父ちゃん越しに外を見ると、時々国鉄のディーゼルカーが走っているのが見えるので、それを見ながら天王寺の近鉄百貨店の玩具売り場と屋上遊園地を空想していた。屋上遊園地の人工衛星がぐるぐる僕の頭の中を回っている最中、お父ちゃんは何かの異変に気がついたようで、機械のような正確な動作による弾きを止めた。
すると、右隣のおっちゃんが、沸騰して薬缶の蓋が飛んでいくぐらい怒り出して、座っていた一本脚の椅子を、床から引き抜いて振り上げたのだ。
その瞬間お父ちゃんは、後ろから僕の脇に手を突っ込んで抱き上げ、ふたりで瞬く間に5メートルほど瞬間移動した。こんな素早いお父ちゃんの動きを見たのは初めてのことで、ずいぶん驚き、ただの中年ではなくて、まだまだ若く誇らしいと感じた。
そして、驚いたのはそれで済まなかった。
店内に流れる勇ましい軍艦マーチが負けを認めるほど、けたたましい破壊音が至近距離で鳴り響き、沸騰した薬缶のおっちゃんは椅子でパチンコ台のガラスを割るどころかパチンコ台を破壊してしまった。沸騰した薬缶のおっちゃんは、椅子を振り上げてから何の躊躇もなくパチンコ台を破壊したので、大人の世界ではそんなのもありなのかなと、瞬時に考えた僕の頭ではそう解釈してしまった。振り上げた金槌は、必然的に振り下ろして釘を打つように…… 
お父ちゃんは何もなかったように振る舞いながら、僕と偶然近く人いた弟を引き連れて逃げるように店を飛び出した。生まれて初めて、お父ちゃんが僕を守ってくれたような気がして、少しだけ嬉しくなり頼もしいとも思った。それに、お父ちゃんの機敏な行動があったおかげで、沸騰した薬缶のおっちゃんは怖くはなかった。チョコレートで口の周りが泥棒髭のようになっている弟はきょとんとしているだけで、手にはチョコレートを持っていなかった。

 どうも、子どもが大人の世界に連れていかれると、妙な事件に出くわしたりすることが多いような気がする。大人が決めているルールが理解できずに思考回路が停止し、夢の中にいるようで、子どもが行くところではないということが分かってきた。
お父ちゃんも、子どもをパチンコに連れて行ってはいけないと、気持ちを切り替えたのか、この事件以来、お父ちゃんは僕と弟をパチンコに連れて行かなくなった。違う遊びを覚えるわけでなく、あいかわらずひとりで行っているのだろう。
そして、僕らは晴れてパチンコを無事卒業することができた。
めでたし、めでたし。

あとがき
この話では、子どもが事件や事故に巻き込まれることはなかったが、昨今パチンコに子どもを連れて行った結果、悲しい結末に至ったことをよく耳にする。
沸騰した薬缶のおっちゃんみたいなエキセントリックな人物が集まりやすい場所でもあり、子どもを絶対連れて行ってはならない場所、そんなメッセージも込めている。
私は、パチンコ屋の前を通ることがあると、ふと、守ってくれる若い父の姿と、泥棒髭の幼い弟を思い出すことがあり、記憶から消えることがない。


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ピエロの呪い [手記]

1970年代、ゆういちの少年期シリーズ、第4弾。
ガチャガチャから出てきたピエロに呪われたお話です。

「アッ! イタタタタタタ―― 」
僕の足のすねに衝撃が走り、思わず叫んでしまった。
大の仲良しのユキオちゃんはアントニオ猪木の大ファンだ。プロレス技をかける遊びが好きで、いつも下顎を突き出しながら足四の字固めや、コブラツイストの技をかけてくる。おねえちゃんを実験台にしていたらしく、仕返しが怖いのでやめたと言っていたので、僕が実験台にされるようになったようだ。ユキオちゃんは何の真似をしているのかは、わからないけど、普段でも気合が入ったり、うまく事が進んだりすると、上半身を少しだけ斜めに傾けてバネのように戻る仕草が特徴的だ。
ユキオちゃんとアパートの部屋で遊ぶのも飽きたので、国鉄K駅近くで最近開店して多くのお客さんで賑わうニチイというデパートまで遊びに行った。店の前、ジューサーミキサーの何倍かの大きさの四角い透明プラスチックの中にカプセルがたくさん入ったガチャガチャが子ども達を誘惑している。
それは今までも何度か挑戦しているガチャガチャ、全体的に赤いデザインなので子どもの興味を引き、否応なしに僕らを呼び止める。
中はウズラの卵より少しだけ大きいカプセルの中に、ゴム製の怪獣、クワガタ、人形、その他いろいろ、全部宝物に見えてしまいカプセル容器にまで魅力を感じる。

ガチャガチャは一回10円。
たこ焼きだったら10円で5個、コロッケだったら10円で一個買える、でも僕としては10円でカプセル一個はコロッケといっしょで10円なりの価値があると思っている。
今日も10円のお小遣いをもらって、ポケットにしまっている。ポケットに手を突っ込み、ホコリの固まりや糸くずといっしょに10円玉を確認した。とにかく何でも不安になったらポケットに手を突っ込んで10円玉を触るのが癖になっている。小腹がすいたら、家の近くのおばあちゃんが作るたこ焼きを買おうかとも思っていた。しかし、ガチャガチャの前に来たからには、今日のお小遣い全額を投資して一回、回さないわけにはいかない。

ポケットからホコリの固まりや糸くずといっしょに10円玉を取り出して、ガチャガチャのハンドルの12時の位置に10円玉をはめ込み、大きなネジを巻くようにハンドルを回した。その10円玉は機械の中で真下になったら落ちて回収される仕組みだ。
「ガチャガチャ…… コトン」
出てきたカプセルを手に取りニヤニヤしていたら、ユキオちゃんが指さして「10円、10円、」と言うのだ。ユキオちゃんが指さした先のガチャガチャのハンドルの12時の位置に、なぜかまた10円玉がある。一瞬だけ不思議に思ったけど、すぐにわかった。
さっき入れた10円玉が中で落ちずに、また戻ってきたのだ。
そのままハンドルを回してみた
「ガチャガチャ…… コトン」
10円で2個目が出てきたので、嬉しくなり中身も確認しないままユキオちゃんにあげた。
それに、また10円玉が戻ってきている。ユキオちゃんは、うれしそうにバネのように戻る仕草をした。さらにユキオちゃんと僕は、周りの大人達に気づかれないように顔をみあわせ、お互い喜びを表現した。
それから、10回以上回したら、ポケットがいっぱいになり、ユキオちゃんも僕も手に持てなくなってしまったので、ユキオちゃんが気を利かせて入れ物を探しに行ってくれた。
ユキオちゃんは、すぐに猫が一匹入るぐらいの段ボール箱を持ってきたので、こりゃまた都合よくちょうどいい箱があったものだと思いながら、笑っているユキオちゃんを見たら、ユキオちゃんの顔をピコピコハンマーで叩いて、いっしょに笑いたい気持ちになった。
段ボール箱から仔猫でも出てきたら、それもまた楽しいなと思ったけど中は空っぽだった。
段ボール箱をガチャガチャの機械より奥に置いて、周りの様子を見ながらハンドルを回し続けた。出てきたカプセルの中身も確認せずに……
ガチャガチャの中のカプセルが残り数個となったら、自分たちは悪いことをしているのではないかと頭をよぎった。
ひとつ残らず出してしまったら、“とっても”悪いことなので、2、3個残して切り上げることにした。ガチャガチャのハンドルにはまだ10円玉があったので、そっと10円玉を抜いてポケットにしまった。
僕たちは段ボール箱を持って、O通り商店街を抜けて家に向かった。
ユキオちゃんにもカプセルをたくさんあげ、箱の中のたくさんのカプセルは10円を投資した僕がもらうことになった。10円玉が戻ってきたので投資額はゼロ円なんだけど、ユキオちゃんは10円使ったと思っているようだ。
ユキオちゃんと別れ、ひとりになった家でカプセルをひとつひとつ開けてオモチャを取り出した。でも、いつものワクワク感がなくて、なんだかつまらない。
箱の中のカプセルとオモチャを見ていたら、また自分たちはとっても悪いことをしたのではないかと頭をよぎった。
箱の中から何体かの小さなピエロの人形が僕を見つめていたので、段ボール箱の蓋を閉めて、家の唯一の押し入れの奥にしまった。

次の日、学校から帰り押し入れの段ボール箱を開けてみた。昨日と変わらないたくさんのカプセルとオモチャがごちゃ混ぜにはいっているのを見て、罪悪感が頭をよぎった。昨日より罪悪感を強く感じ、一瞬手の血が引いたような感じがしたかと思ったら、箱の中のピエロの人形が僕を見つめた。
深呼吸してから段ボール箱の蓋を閉めて押し入れにしまった。

次の日から、押し入れを開けなかった。
また、きのうより罪悪感を強く感じ、一瞬手の血が引いたような感じがしたかと思ったら、箱の中のピエロの人形を思い出した。
その夜は、ピエロの人形の夢を見てぐっしょり汗をかいた。

それから数日後、学校から帰り恐る恐る押し入れの段ボール箱を開けてみると、暗い段ボール箱の中でピエロの人形が泣いているようだった。
ピエロの人形が怖くなり、この段ボール箱を消してしまいたくなった。

次の日、大好きなテレビアニメ、マッハGoGoGoを観ていたら、押し入れからゴソゴソっと音がしたので思わず振り返った。弟が押し入れのオモチャ箱をあさっているところだったので胸をなでおろしたが、落ち着かなくなりテレビどころではなくなった。
押し入れのピエロの人形が怖くなり、そして重くのしかかっていた罪悪感に耐えられなくなり、今まで隠していたことを、お母ちゃんに打ち明けることに決めた。

僕はお母ちゃんに打ち明ける前に、悲しくはないけど涙が出てきた。
そして正直に、今までのことを包み隠さずお母ちゃんに話をした。
お母ちゃんは、あきれたようにフンとため息をついてから、大きな声ではぎれよく「すぐに返しなさい」と一言だった。

ユキオちゃんには、お母ちゃんに打ち明けたことは言わず、ひとりでニチイに謝りに行った。お母ちゃんから言われたとおりに、店の大人に声をかけ、大人の前掛けのポケットを見ながら、しっかりと謝った。ピエロの人形が入った段ボール箱を返す時、お叱りの最後に、「ええわ、それ」と言われたらどうしようと思っていたが、ピエロが入った段ボール箱を無事返すことができた。

大仕事を終えたような気分になり、O商店街をスキップで駆け抜けて家に帰った。
その夜、一個だけとっておいた赤色のカプセルの半分を鼻にかぶせて、
弟の前でピエロの真似をした。
そして、僕はピエロの呪いから解放された。

gachagacha.png

あとがき
ユキオちゃんは、まだ若いのに妻子を残し天国へ行ったと聞いた。
彼が、その時代を生きていたという証を残したかったので本名で書かせてもらった。

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魔法の世界を走る自転車とアメリカのおばちゃん [手記]

1970年代、ゆういちの少年期シリーズ、第3弾。

私が自転車に乗れるようになったのは小学校に入ってから数年してからのことでした。周りの友達は乗れるようになったのに私だけおいてけぼりにされているようで何とかしたいと、気持ちばかりが焦っていました。
そんな自転車との、孤独な格闘の思い出です。

自転車を真っすぐ立てて、そっと手を離したら倒れてしまいます。この物理的な現象が証明しているように、僕は自転車が二輪だけで走れるというのが全く理解できません。誰かに聞いてもちゃんとした答えを出してくれる人がいないので、どうしたら乗れるようになるか自分だけで一生懸命考えました。
最終的に考え出した仮説は、こうです。

“二輪で数メーター進むと、説明はできないけど不思議な現象によって自転車が魔法にかかったように倒れなくなる”

消去法でもこの仮説しか浮かばず、我ながら的を得た素晴らしい仮説だと思いました。町を走る自転車は、子どもからおじいちゃん、おばあちゃんまで、みんな魔法にかかっていることになりますが、知恵をふり絞って考え出した仮説なので間違いないと思いました。
そこで、危険が伴うけど、意を決して仮説証明のために実験をすることに決めたのです。
誰にも計画は教えません、僕だけの秘密の実験です。

天気のよい休日の午後に、場所は自宅からは目と鼻の先の道幅5mほどの生活道路。
実験内容は、自分自身で自転車にまたがり、自転車を急発進させて数メーター、いや、うまくいけば数十メーター倒れないように持続させ、魔法の世界にワープするか確かめるものです。もし、魔法の世界にワープしなければ…… 想定外なのでその先は考えないことにしました。
スタート地点は、僕らが”アメリカ”と呼んでいたアメリカ堂というパン屋さん兼、駄菓子屋さんの前。いつも当てモノくじで高確率に景品を獲得しているので、アメリカのおばちゃんにとって僕は要注意人物らしいのです。アメリカのおばちゃんと言っても、アメリカ堂のおばちゃんなので、れっきとした日本人です。そんな、アメリカのおばちゃんは気づいたのか店の中から様子を気にしています。
アメリカのおばちゃんから見えないようにスタート地点を変更して、道路脇に仮にスタンバイしました。普段から人通りは少ないのですが、誰ひとりいなくなるタイミングがなかなか来ません。今日は、車の路上駐車もなく、道路は直線50メーターの滑走路のようで、その先は約90度にカーブしているため、そこを終点に決めました。
ドキドキしないわけがなく、鼓動が早くなってきています。
スタートのタイミングは、誰ひとりいなくなった瞬間であって、自分で決められません。その時は予告なしで突然訪れるかもしれません。
90度にカーブしている付近で猫がゆっくりと横断しているのが見えました。どうやら、その猫が渡り終わった瞬間がスタートです。

自転車を道路の中央に移動させ、ハンドルグリップを固く握りしめ、自転車にまたがって右ペダルを2時の位置に固定し、完璧な準備を整えました。
向こうで猫がスタートのフラッグを振りました。その静かな合図により、お寺の橦木(鐘突き棒)<シュモク>のような、スローで力強いロケットスタートを切りました。
まだ倒れず乗れているけど、ハンドル操作は神様にお任せしているようだ。
スピードを上げて進んだ直後から魔法の世界なんかにワープする気配さえしません。気持ちが全く自転車に乗らないままスピードを上げて進むと、どんどん右へ反れていく。
細い板の上をスピードを上げた自転車がどこまで進めるかのように―― 、そのうち車体は傾き始めます。
bicycle.png
終点の約90度カーブ地点まで及ばず、自転車は交通事故のように激しく固いアスファルトの道路に滑るように倒れ、歯を食いしばってその衝撃に耐えました。
急に周りが無音になったように自分だけの世界になり、何をしでかしたのかわからなくなりました。手足を見たら、たくさんの大きな擦り傷で血が滲み流れ出てきます。
道路に倒れたまま魔法の世界へのワープのことも忘れ、泣きだしてしまいました。
決死の覚悟で臨んだのですが、あの仮説は間違いだったことを身をもって知ったのです。

…… それから月日が流れ、魔法の世界へのワープのことを忘れかけた頃です。
ふとしたことで自転車の“ケンケン乗り”をいとも簡単にマスターしたのです。
サドルにまたがってはいませんが、二輪だけで倒れずに走れるようになったわけです。学校から帰ってきては飽きもせずケンケン乗りで遊ぶ毎日が続きました。まるで、キックスクーターで遊んでいるみたいに。二輪走行できているのにケンケン乗りだけというのも、もどかしいものです。毎日ケンケン乗りをしていると、ペダルを踏んでいない右足をサーカスのように上げたり、荷台に乗せたりもできるようになりました。
そして、ブレークスルーは突然訪れました。
試しにサーカスのようにしていた右足を、車体の中央を超えて、そっと右ペダルへ乗せてみたのです。「もっと早くに右ペダルに乗せておけばよかったのに、少年!」と、誰かが言ったような瞬間でした。

自転車が、“ようこそ”と僕を受け入れてくれたのです。
自転車に乗れるまでの道のりは長かったけど、乗れるようになった喜びと同じぐらい、自分で勝ち取った喜びで自分の世界が少し広がったような気がしました。
あの、魔法の世界へのワープの挑戦は僕だけの秘密にすることに決め、自転車に乗れるようになったことを早く誰かに伝えたくて心が躍りました。
アメリカの近くまで走ってみることにしました。
自転車を止めて、遠くからアメリカのおばちゃんを見たら、何だか嬉しくなってニッコリ笑ってしまいました。そしたらアメリカのおばちゃんがコクリと頷くような仕草をしたような気がしました。あの実験の時、アメリカのおばちゃんが見ていたのではないかと思ったら、急に恥ずかしくなってアメリカから逃げるように店を離れました。
「おばちゃん、あしたから、あてモノしに、自転車でいくでぇー」と心の中で言いながら。

それから、自転車は僕をどこにでも連れて行ってくれるようになりました。
めでたし、めでたし。

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タグ:自転車 手記
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涙の肉飯 [手記]

1970年代、ゆういちの少年期シリーズ、第2弾。

昔を思い出し、何故?あんなことしてしまったのだろうと、後悔することありませんか? 
大阪万博が開催された年、私が小学生だった頃のほろ苦い話です。
私も含めて、同級生4~5人が先生のご自宅に遊びに呼ばれたことがありました。
同級生達は、やんちゃで悪戯好き、理科好きの科学少年、サンダーバードマニアまで、当時はそんなヤツらと臨機応変に遊んでいました。
遠い先生のご自宅まで、みんなで自転車を連ねて走ります。
私の補助輪なし自転車運転技能は奥手で、そのデビュー間もない頃だったのではないかと思います。自転車デビューした途端に行動範囲が広がり、車の免許でも取得したかのように町のどこにでも行けるようになった喜びがありました。自転車の無駄なパーツを外すと車体が軽くなり、楽に自転車に乗れることも覚えました。
チェーンカバーの無い軽い車体の自転車で、同級生達と先生の家まで競い合うように走ります。

遊びに呼んでくれた先生は若い女性教師。
当時のアルバムを開くと色白で面長、清楚で綺麗な先生だったと再認識します。
先生は新婚さんで、ご自宅を訪問した時には先生だけがいらっしゃいました。どう考えても担任の先生じゃなかったと思うのですが、その先生が呼んでくださった生徒の中に何故か私が入っていました。
先生は、学校とは違う洋服なので少しだけ先生の家庭生活の様子が頭の中をよぎります。学校で見る先生からは緊張感を感じますが、ご自宅ではこうも違うものかと思ったものです。
namidano_nikumeshi.png
ご自宅に上げていただいたら、すでにお昼の準備が整っていました。
先生は、にっこりと、”にくめし”という丼ぶりものだと言いました。
何の肉かはわかりませんが、ご飯の上に肉ということはわかります。
私の家では肉飯なんか聞いたことも食べさせてもらったこともなく、それも丼ぶり鉢でいただくご飯に強く興味を惹かれました。
”にくめし”という言葉の響き、その匂いと、丼ぶり鉢という器に胃袋が踊り、空腹の大波が押し寄せてきました。口の中は大量の唾液で浸水しています。
同じテーブルに座っている同級生皆同じだったはず。
その肉飯は、今でいう牛丼だったのではないかと思います。
いただきますの挨拶で肉飯を食べ始めました。
私は、一口食べた瞬間、初めて食べた肉飯の匂いと味に驚きました。
そして、空腹の大波は、いつの間にか食欲の連続した大波に変わっています。
「おいしい、おいしい、おいしい」口に出しては言いません、心の声で何度も。食べることに集中するため壁の絵画をじっと見つめながら咀嚼します。
何回「おいしい」を言っても表現できない美味しさ、ほどよい甘さが記憶の引き出しにいつまでも残っています。

しかし、小学生の男子って罪なヤツらです。
その中のひとりが、美味しくなさそうな態度をとってお箸をパタンと音がはっきりわかるように置き、そのお箸を置く音で黒いモヤがかかったように雰囲気が悪くなりました。もうひとりも、俺も食べないと言ってお箸を置き、それに続いて私も含めて皆がお箸を置いていましました。肉飯の半分も食べていません。どうして、ひとりにつられて、気持ちと逆の態度にでるのでしょうか。悪気はないのですが、その行動をすることによって相手の感情をどう傷つけてしまうかが、かなり鈍感なのです。

先生が「おいしくなかったかな――?」と言ったところまで記憶にあります。
その先の記憶は……プツリと糸が切れるように、思い出せません。

大人になってから、時々この事を思い出します。
先生にたいへん申訳ない振る舞いをしたことが今になっても悔やまれるからです。あの年頃の子どもを、先生が理解してくれていれば、少しは救われますが、先生に謝りたいのです。帰ってきた旦那さんに、先生は何て言ったのだろう? まさか、泣いたりしたんじゃないだろうか? 冷静になって考えると、あの行為は先生に対しての“いじめ”だったのではないかと思うこともあります。
「おいしくなかったかな――?」の一言でしたが、その言葉の裏には重くて複雑な思いがあったのだと思うと、今になっても正直な気持ちを伝えなければならないと思うのですが、そんなチャンスは訪れることはありません。
この肉飯の出来事が教訓となっていれば、相手の立場になって物事を考えることや、思いやりをの気持ちを私に与えてくれたのでしょう。そして、その後の自分の人生にプラスに働いているのであれば先生も許してくれるのではないかと思うことにしています。

「先生! あの肉飯は、おかわりをしたいほど、おいしかったんです」

先生がおもてなししてくれた肉飯、私の記憶の宝物です。


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ボロアパートの不思議な話 [手記]

昭和四十年代、小学生だった頃の不思議な話です。

当時、ボロアパートで父母弟の家族四人で暮らしていました。
アパートは二階建てで東西に長く、西側にはメインの内階段があり東側には、当時子どもたちが「ヒジョー階段」と呼んでいた赤いペンキで塗られた雨ざらしの鉄骨階段がありました。近所には年が近い子どもがたくさんいてヒジョー階段は人気がある遊び場のひとつです。
東側は三十分ほど歩くと山、子どもたちは東山と呼んでいました。
東山は自然に満ち溢れ溜池もあり、ザリガニ釣りに虫捕りによく足を運んだものでした。

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住んでいたボロアパートは二階で四畳半と三畳の二部屋と猫の額ほどの台所。
家財道具は冷蔵庫と白黒テレビぐらいが大物で、その他のものは無かったのか記憶にありません。その白黒テレビでアポロの月面着陸を見た記憶だけはあります。
よくもそんな所に四人で暮らしていたものだと、今思えば毎日が避難所生活並みだったのです。
隣町に三人兄弟の従妹が住んでいるので、母がたまに遊びに呼んでやって一晩二晩泊まっていくことも。夜は布団の上でじゃれあって、それはそれは楽しいものでした。
四人で生活していれば三人増えても同じ、就寝時は全員むし鮨のように蒸れていました。

ボロアパートは全部で十六世帯ぐらいだったでしょうか、昼間でも廊下や共同トイレは薄暗く洞窟のような環境です。サルやワニを飼ういなかっぺ大将に出てくる西一(ニシハジメ)みたいな住人もいたり、そこから逃げ出した孫の手ぐらいの長さのチビワニがうちの猫の額ほどの台所へやってきたこともありました。
負けずと、うちも文鳥やシマリスを飼ったりしたこともありましたが、サルまで飼っている西一には勝てません。
一番の仲良しの同級生家族が住む部屋は2階の端っこで、お父さんが金魚好きとあって部屋の中には大きな水槽が無数に置いてあり、泡を出すポンプの音と水槽独特の臭いが印象的でした。ボロアパートから飼育しているペットを全部引っ張り出せば小さなペットショップがオープンできたのではないかと思うほどでした。
店長は、たぶん西一が担当していたでしょう。

思い起こせばきりがありません。

どこの部屋だったか記憶にはありませんが、「となりのお兄ちゃん」と呼んでいた子ども好きな若い一人暮らしのおにいさんが住んでいました。
薄暗いボロアパートだったので顔ははっきり覚えていませんが、俳優の佐藤浩市さんのようなイメージを今でも持っています。
子どもから見ると大人とお兄ちゃんは違うんですね、子どもたちの気持ちに近いからでしょう、皆となりのお兄ちゃんが大好きでした。
ボロアパートは屋上から屋根に上がれるんです。夏の夜、となりのお兄ちゃんは暑さから逃れるためか屋根で寝ていたらしいんですが、ほんとうに寝てしまって転落してしまったのです。後から聞いた話では骨折ですんだようですが、ほんとうのことはわかっていません。となりのお兄ちゃんは次の日からいなくなりました。
鳥小屋の扉を開けたら白い鳩がすぐに飛んで行ってしまったように。
この時初めて突然の別れを経験し、犬になって遠吠えしたいほど寂しい思いをしました。

そのボロアパートを中心に起こる色々な出来事が子どもだった私にはとても刺激的でした。そのボロアパートで暮らす様々な家族の喜怒哀楽を共有したおかげで。あのボロアパート生活がなかったら今の自分がないのではないかと思うほどです。

そんなボロアパートで不思議なことがあったのです。
ヒジョー階段と呼んでいた鉄骨階段での出来事です。

まだ明るい夕方、いつものように母に遊びに行ってくることを告げて弾けるように家を飛び出し、薄暗い洞窟のような廊下を歩きヒジョー階段の踊り場に出たのです。

スーーーーーッと来るんですね。

背筋が凍り付きました。
その夕暮れ時に。

青白い火の玉が、「スーーーッ」っと長い尾を引きながら飛んでいます。

あのチビワニの長さと同じです。
火の玉の尾はまるでガスバーナーのような綺麗な青です。
音は全くありません。
火の玉は、ちょうどボロアパートの影から出てきたところで、目の高さと同じ高さで7〜8m先の至近距離を右から左へ、東山の方向へ飛んでいきます。
水平で真っすぐな、油を塗ったレールの上を滑るように、右から左へ。
ゆっくり、ゆっくり、人が歩くぐらいの速さで宇宙空間を移動するように。
ヘビに睨まれたカエルのようになって息が詰まりそう、これから何をどうしていいかわからない。
近くに誰かいたら「あっ、あっ、」と言って指差し教えてあげる。

boro_ap_hinotama.jpg

そうだ、間に合わないかもしれないけど、何としても母に見せるんだ!
あわてて引き返して猫の額でゆうげの支度をする母を呼びに行く。
説明する言葉が頭にうまく出てこない。声に出かかったが、舌の上で言葉が止まっている。

母を連れてヒジョー階段まで戻った時には夕暮れ時の寂しい景色しかそこにはありませんでした。

でも母は信じてくれました。

あの時母を呼びに行ったら、火の玉はもういなくなると分かってはいたのですが、どうしても母に見せたくて。
そんな出来事がある時って周りに誰もいないものなのです。

そこには、ぽつんと、母と私だけ。
鉛のように重苦しい空気が周りを取り囲み、夕暮れの景色も早く闇へ吸い込まれそう。

やさしい母に私は聞いてみました。
「となりのお兄ちゃんじゃないよね?」

あとがき:
これは私が本当に見て体験したこと、昔から人魂と呼ばれている現象だと思います。
もう、あれ以来見たことはありません。


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