SSブログ

魔法の世界を走る自転車とアメリカのおばちゃん [手記]

1970年代、ゆういちの少年期シリーズ、第3弾。

私が自転車に乗れるようになったのは小学校に入ってから数年してからのことでした。周りの友達は乗れるようになったのに私だけおいてけぼりにされているようで何とかしたいと、気持ちばかりが焦っていました。
そんな自転車との、孤独な格闘の思い出です。

自転車を真っすぐ立てて、そっと手を離したら倒れてしまいます。この物理的な現象が証明しているように、僕は自転車が二輪だけで走れるというのが全く理解できません。誰かに聞いてもちゃんとした答えを出してくれる人がいないので、どうしたら乗れるようになるか自分だけで一生懸命考えました。
最終的に考え出した仮説は、こうです。

“二輪で数メーター進むと、説明はできないけど不思議な現象によって自転車が魔法にかかったように倒れなくなる”

消去法でもこの仮説しか浮かばず、我ながら的を得た素晴らしい仮説だと思いました。町を走る自転車は、子どもからおじいちゃん、おばあちゃんまで、みんな魔法にかかっていることになりますが、知恵をふり絞って考え出した仮説なので間違いないと思いました。
そこで、危険が伴うけど、意を決して仮説証明のために実験をすることに決めたのです。
誰にも計画は教えません、僕だけの秘密の実験です。

天気のよい休日の午後に、場所は自宅からは目と鼻の先の道幅5mほどの生活道路。
実験内容は、自分自身で自転車にまたがり、自転車を急発進させて数メーター、いや、うまくいけば数十メーター倒れないように持続させ、魔法の世界にワープするか確かめるものです。もし、魔法の世界にワープしなければ…… 想定外なのでその先は考えないことにしました。
スタート地点は、僕らが”アメリカ”と呼んでいたアメリカ堂というパン屋さん兼、駄菓子屋さんの前。いつも当てモノくじで高確率に景品を獲得しているので、アメリカのおばちゃんにとって僕は要注意人物らしいのです。アメリカのおばちゃんと言っても、アメリカ堂のおばちゃんなので、れっきとした日本人です。そんな、アメリカのおばちゃんは気づいたのか店の中から様子を気にしています。
アメリカのおばちゃんから見えないようにスタート地点を変更して、道路脇に仮にスタンバイしました。普段から人通りは少ないのですが、誰ひとりいなくなるタイミングがなかなか来ません。今日は、車の路上駐車もなく、道路は直線50メーターの滑走路のようで、その先は約90度にカーブしているため、そこを終点に決めました。
ドキドキしないわけがなく、鼓動が早くなってきています。
スタートのタイミングは、誰ひとりいなくなった瞬間であって、自分で決められません。その時は予告なしで突然訪れるかもしれません。
90度にカーブしている付近で猫がゆっくりと横断しているのが見えました。どうやら、その猫が渡り終わった瞬間がスタートです。

自転車を道路の中央に移動させ、ハンドルグリップを固く握りしめ、自転車にまたがって右ペダルを2時の位置に固定し、完璧な準備を整えました。
向こうで猫がスタートのフラッグを振りました。その静かな合図により、お寺の橦木(鐘突き棒)<シュモク>のような、スローで力強いロケットスタートを切りました。
まだ倒れず乗れているけど、ハンドル操作は神様にお任せしているようだ。
スピードを上げて進んだ直後から魔法の世界なんかにワープする気配さえしません。気持ちが全く自転車に乗らないままスピードを上げて進むと、どんどん右へ反れていく。
細い板の上をスピードを上げた自転車がどこまで進めるかのように―― 、そのうち車体は傾き始めます。
bicycle.png
終点の約90度カーブ地点まで及ばず、自転車は交通事故のように激しく固いアスファルトの道路に滑るように倒れ、歯を食いしばってその衝撃に耐えました。
急に周りが無音になったように自分だけの世界になり、何をしでかしたのかわからなくなりました。手足を見たら、たくさんの大きな擦り傷で血が滲み流れ出てきます。
道路に倒れたまま魔法の世界へのワープのことも忘れ、泣きだしてしまいました。
決死の覚悟で臨んだのですが、あの仮説は間違いだったことを身をもって知ったのです。

…… それから月日が流れ、魔法の世界へのワープのことを忘れかけた頃です。
ふとしたことで自転車の“ケンケン乗り”をいとも簡単にマスターしたのです。
サドルにまたがってはいませんが、二輪だけで倒れずに走れるようになったわけです。学校から帰ってきては飽きもせずケンケン乗りで遊ぶ毎日が続きました。まるで、キックスクーターで遊んでいるみたいに。二輪走行できているのにケンケン乗りだけというのも、もどかしいものです。毎日ケンケン乗りをしていると、ペダルを踏んでいない右足をサーカスのように上げたり、荷台に乗せたりもできるようになりました。
そして、ブレークスルーは突然訪れました。
試しにサーカスのようにしていた右足を、車体の中央を超えて、そっと右ペダルへ乗せてみたのです。「もっと早くに右ペダルに乗せておけばよかったのに、少年!」と、誰かが言ったような瞬間でした。

自転車が、“ようこそ”と僕を受け入れてくれたのです。
自転車に乗れるまでの道のりは長かったけど、乗れるようになった喜びと同じぐらい、自分で勝ち取った喜びで自分の世界が少し広がったような気がしました。
あの、魔法の世界へのワープの挑戦は僕だけの秘密にすることに決め、自転車に乗れるようになったことを早く誰かに伝えたくて心が躍りました。
アメリカの近くまで走ってみることにしました。
自転車を止めて、遠くからアメリカのおばちゃんを見たら、何だか嬉しくなってニッコリ笑ってしまいました。そしたらアメリカのおばちゃんがコクリと頷くような仕草をしたような気がしました。あの実験の時、アメリカのおばちゃんが見ていたのではないかと思ったら、急に恥ずかしくなってアメリカから逃げるように店を離れました。
「おばちゃん、あしたから、あてモノしに、自転車でいくでぇー」と心の中で言いながら。

それから、自転車は僕をどこにでも連れて行ってくれるようになりました。
めでたし、めでたし。

bicycle_america_cat.png
タグ:自転車 手記
nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 3

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。